Chapter 797
今、時間ある?
高橋美咲は唇を噛み、まだ少し不安が残っていた。
でも、西園寺陸のあの時の態度はあまりにも丁寧で、九条蓮が言うような感じではなかった。
今はもう何の関係もないのに、彼からいろいろ助けてもらうのは違う気がするし、九条蓮が助けてくれる理由もないはずだ。
九条蓮自身も今は大変な状況なのに、彼女のために人に頼みごとをして、また大きな借りを作ってしまうかもしれない。
でも、もう九条蓮が動いてしまったし、西園寺陸とも契約を結んでしまった今、これ以上何か言うのはかえって気取っているように思えた。
高橋美咲は九条蓮を見て、感謝の気持ちでいっぱいになり「どうやってお礼を言えばいいかわからない」と言った。
九条蓮は口元をやわらかくほころばせて微笑んだ。「お礼の仕方がわからないなら……」
彼の声が一瞬止まり、高橋美咲の気持ちも緊張した。
九条蓮が自分の受け入れられないことを言い出すのではと少し怖かったが、心の奥ではほんのり期待もしていた。
しばらくの間、彼女の心はとても複雑だった。
高橋美咲の慎重で不安そうな表情を見て、九条蓮は微笑んで言った。「本当にお礼したいなら、何か作ってくれない?美咲の手料理、久しぶりに食べたいんだ。」
美咲の手料理、久しぶりに食べたいんだ。
その言葉を聞いた高橋美咲は、東京で一緒に過ごした日々を思い出した。あの頃はまだ九条蓮の正体も知らず、2人で甘い時間を過ごしたこともあった。
彼女の目が赤くなり、今にも泣きそうになった。
どうして自分と九条蓮は、今こんなふうになってしまったのだろう。
高橋美咲は九条蓮をソファに座らせて待たせ、自分はキッチンに入り、手際よく料理の準備を始めた。
野菜を刻みながら、ふと、まるでまだ東京にいた頃のまま、二人が離れ離れになっていなかったような気がした。
あの頃は、彼と九条蓮はとても親しかった。
彼も美咲の作る料理を気に入ってくれていたようだった。
でも今思い返すと——九条家の大旦那様の自分への嫌悪や、両家の確執が頭をよぎり、高橋美咲はまた苦笑いを浮かべた。
考えすぎはやめよう。今のこの関係だって、十分幸せじゃないか。
突然、しっかりとした体が背後からぴたりと寄り添い、九条蓮の声が耳元で響いた。「手伝おうか?」
高橋美咲は別のことを考えていたので、九条蓮が突然現れて、しかもこんなに近くに立つとは思わず、驚いて手元が狂い、包丁が滑った。
「あっ……」指を切ってしまい、鮮やかな赤い血がすぐににじみ出てきた。
九条蓮は眉をひそめ、慌てて美咲の手を取り、不安そうに「美咲、大丈夫か?」と尋ねた。
彼の緊張した態度と心配そうな表情に、高橋美咲はまるで温かい海水に包まれているような、じんわりとしたぬくもりが心に広がるのを感じた。
高橋家では誰かに特別に気にかけられることはなかった。今は高橋正人との関係も少しは和らいだけれど、まだ距離があり、すでに実家も出ていた。
ほとんどの時間を一人で過ごし、怪我をしても黙って耐えるしかなかった。
でも今、九条蓮が自分の手を握り、真剣な顔で「大丈夫か」と聞いてくれる。この“誰かに心配される”感覚が——
高橋美咲はぼんやりと「平気よ。心配しないで」と答えた。
九条蓮は美咲の手を引き、リビングへ。「救急箱はどこ?」
「キャビネットの一番下の段にあるわ。」
九条蓮は美咲の肩に手を添えてソファに座らせ、自分で救急箱を取りに行った。箱を開けると、真剣な表情で美咲の傷の手当てを始めた。
高橋美咲は目の前の整った顔立ちを見つめ、彼が自分の手を優しく扱うのを感じていた。
そっと唇を噛みしめ、複雑な気持ちが胸に渦巻いた。
ただ黙って九条蓮を見つめていた。ほんの小さな切り傷で、痛みもほとんどなく、すぐに血も止まった。
「はい、これで大丈夫。ここでじっとしてて。料理は僕がやるよ。」
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