Chapter 608
ごめん、遅くなってしまって
さっき、岩瀬一真は本当に何か悪いことをしようとした。パニックになった美咲はとっさに何かを手に取り、岩瀬一真を刺して怪我を負わせた。その後は自分も錯乱していて、岩瀬一真はもう近づいてこなかった。彼は恐怖で逃げていったのだ。
高橋美咲は充血した目で九条蓮を見上げ、ただ黙って彼を見つめた。
九条蓮は高橋美咲の目に浮かぶ涙と、ただじっと自分を見つめて何も言わない様子を見て、胸が締めつけられる思いだった。
彼は一歩近づき、高橋美咲をそっと抱きしめ、優しく慎重な声で「美咲、もう大丈夫だよ。怖がらなくていい。すぐにお医者さんが来て、ちゃんと診てもらえるから。全部良くなるから、安心して……」と宥めた。
この瞬間、九条蓮は自分が大阪に残って帰ってこなかったことを激しく悔やんだ。もし大阪で九条家の大旦那様と一緒にいなければ、高橋美咲がこんな目に遭うことはなかったはずだ。すべて自分のせいだと感じていた。
九条蓮が罪悪感に沈んでいると、高橋美咲がかすれた声で「もし……もし岩瀬一真に……」と口にした。
「言わなくていい。君のせいじゃない。必ずあいつにはきちんと償わせて、美咲のために復讐する」
高橋美咲は本当は、もし自分が本当に岩瀬一真に汚されたら、九条蓮はどうするのか試したかったのだ。
前回、九条悠真との誤解は自分の早とちりだったが、九条蓮は最初からあの男が自分自身だと知っていた。でも今回は違う。九条蓮の本心を知りたかった。
高橋美咲自身も、なぜこんな無意味なことをしてしまったのか分からなかった。
こんなこと、どんな男性でも本当は気にしないはずがない。聞いたところで無駄だと思っていた。
「実は、私は……」
言いかけたところで、九条蓮が遮った。優しい口調で「美咲、何があっても、俺はずっと君のそばにいる。全部俺のせいだ。もし空港まで迎えに来てくれなんて頼まなければ、こんなことにはならなかった。だから、何も気にしなくていい」と言った。
高橋美咲は驚き、まさか九条蓮からこんな言葉を聞くとは思っていなかった。
彼女は九条蓮を見上げた。彼の瞳は深く、その中には自分への痛みが滲んでいて、少しの偽りもなかった。
彼は本気でそう思っているのだ。
九条蓮は、岩瀬一真に汚されたかどうかなんて気にしていなかった!
高橋美咲の胸は激しく高鳴った。
自分の狭い心で紳士の心を測ってしまったが、九条蓮は決して彼女を裏切らなかった。
彼は本当に世界一の男性だった。
高橋美咲の目に涙がにじみ、起き上がって九条蓮の首にしがみつき、感極まった声で耳元にささやいた。「もう心配しないで。実は、私……」
「お医者様がいらっしゃいました!」
慌ただしい声とともに、九条夫妻と九条凛が主治医を連れてドアを開けて入ってきた。高橋美咲と九条蓮が抱き合っているのを見て、三人はその場で固まり、しばらく入るべきか出るべきか迷っていた。
高橋美咲はこんなに大勢いるとは思わず、少し恥ずかしくなって九条蓮を押し離した。
九条蓮は九条凛たちを見て「入って」と言った。
主治医は穏やかな雰囲気の中年女性で、誰もが安心できるような人だった。彼女は全員に部屋を出るよう促し、自分と高橋美咲だけが残った。
医師は高橋美咲を見て、できるだけ優しく「怖がらなくて大丈夫ですよ。私はあなたを助けに来ました。できるだけリラックスしてくださいね」と声をかけた。
高橋美咲は医師を見上げ、落ち着いた声で「私は何もされていません。そんなに気を遣わなくて大丈夫です」と言った。
医師は高橋美咲の言葉に一瞬驚いた。
さっきまで九条夫妻から何があっても刺激しないようにと何度も念を押されていたが、どうやら自分の勘違いだったようだ。
……
廊下では、九条蓮、九条凛、九条智久、九条絵美里が待っていた。
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