Chapter 388
まったく違和感がない(続き)
「佐伯葉月。」彼は低くつぶやいた。
「えっ?なんで分かったの?」九条凛は驚きの声を上げた。
彼女は記憶をたどり、佐伯葉月という女性を思い出した。以前、九条家軽井沢別邸での集まりで一度だけ見かけたことがあったが、あまり親しくはなかった。
「本当に佐伯葉月かも!だって佐伯家は東京でも有力な家だし、これは厄介だよ。どうしよう……」
「心配する必要はない。」
九条蓮は他の女性に全く興味がなかったし、この件が脅威になるとも思っていなかった。高橋美咲との関係さえ良好なら、それで十分だった。
九条凛は何か言いかけたが、九条蓮があまりにも落ち着いていて動じていないのを見て、本当に心配することはないのだと感じた。
兄は他の女性に一切目もくれない。たとえ佐伯家の娘が十人現れても、高橋美咲の立場は揺るがないだろう。
ふと思い出したように九条凛が尋ねた。「そういえば、お兄ちゃんはいつ美咲さんに自分が兄だって明かすつもり?」
九条蓮の幸せのために、自分も両親もずいぶん犠牲を払ってきた。
九条蓮はしばらく黙った後、「もう少し待ってくれ」と答えた。
少なくとも高橋美咲との関係が安定してから、タイミングを見て伝えたい。そうすれば、余計なトラブルを心配しなくて済む。
無事に九条凛を家まで送り届けた後、九条蓮は代官山パークレジデンスへ戻った。
道すがら、彼は先ほどの出来事を思い返していた。
もし九条凛の言う通り、お祖父様がすでに佐伯家に話を持ちかけているなら、高橋美咲はもうそのことを知っているかもしれない。
だが彼女は何も騒ぎ立てず、ただ「佐伯葉月のこと知ってる?」と探るように聞いただけだった。
その時は特に気に留めなかったが、今になって全てが繋がった。
九条蓮の目がわずかに陰る。高橋美咲が自分に怒りをぶつけてこなかったのは、自分のことを本気で想っていない証拠なのかもしれない。
代官山パークレジデンスに戻った高橋美咲は、まずシャワーを浴びた。ひと通り身支度を終えても、九条蓮はまだ帰ってこない。結局、美咲はソファに座ってテレビを見ながら彼を待つことにした。
カチャリとドアが開き、九条蓮が帰宅した。
部屋に入ると、九条蓮の深い瞳が美咲に向けられる。何か考え込んでいるようだったが、美咲がよく見ようとした時には、その表情はもう消えていた。
美咲が先に口を開いた。「九条凛ちゃん、無事に帰れた?」
九条蓮は鍵を置きながら部屋に入ってきた。「ああ、送ってきたよ。」
彼は美咲の隣に腰を下ろし、低い声で尋ねた。「数日前、急に佐伯葉月のことを聞いたのはどうして?」
美咲は一瞬固まった。
あの時は、九条蓮が佐伯葉月のことを知っていると思い、少し感情的に聞いてしまった。その後、彼が知らなかったと分かってからは、心の中の怒りも薄れていた。
なのに、どうして今になってまたこの話題を?
「別に。ただちょっと気になっただけ。」
九条蓮は少し眉をひそめて聞いた。「佐伯家の人が君に会いに来たのか?」
「うん、佐伯葉月さんが来たよ。自分があなたの婚約者だって!」九条蓮が話を切り出したので、美咲も隠すのをやめ、少し唇を尖らせてふっと息を吐き、「しかも私に警告までしてきたの。」
美咲の不満げな表情を見て、九条蓮の顔つきがやわらいだ。
彼は美咲をそっと腕の中に引き寄せた。「それは彼女が勝手に言ってるだけだ。俺には婚約者なんていない。戸籍上、正式な妻は一人だけだ。」
九条蓮の低く優しい声に、美咲の心がふわりと揺れた。
もともと気にしていなかったことだし、九条蓮がわざわざ説明してくれたことで、心の中のわだかまりもすっかり消えた。
「心配しなくていいよ。誤解なんてしてないし。あれはあなたのおばさんが勝手に紹介した人でしょ?私は怒ったりしないから。」
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