Chapter 29
彼は本当に男じゃない
高橋美咲は振り返って洗面所に向かい、身支度を整えた。その後、朝食の準備に取りかかった。
ちょうどその時、九条蓮が別のスーツに着替えて出てきた。
彼が身につけていたのは、どこにでもある無名ブランドのスーツだったが、全身から控えめでクールな気品が漂っていた。パリッとしたジャケットは見事な肩のラインを際立たせ、スラックスもまっすぐでシャープ。どこを取っても近寄りがたい雰囲気を放っていた。
高橋美咲は思わず見とれてしまった。この格好で婚約披露宴に出れば、誰もが騙されるに違いないと感じた。
きっと、本当の九条蓮もこの程度なのだろう。
九条蓮は朝食を終えると、高橋美咲に一言も声をかけずに仕事へ向かった。
だが、出かける前には高橋美咲が差し出したお弁当箱を、無表情のまましっかり受け取っていった。
高橋美咲は、今日は彼の様子がどこかおかしいと感じたが、何が原因なのかは分からなかった。もしかしたら、寝起きで機嫌が悪いだけかもしれない。
ぼんやりしていると、スマートフォンが鳴った。
九条凛からの電話だった。
「美咲、九条悠真と桜井奈緒の婚約パーティーの招待状、もう配られたよ。あの女、もう自慢しに来た?」
「ううん、でもきっとすぐ来ると思う。」
桜井奈緒が自慢しに来るチャンスを逃すはずがない。
「あの女、本当にムカつく!」九条凛は憤慨したように鼻を鳴らし、「悲しみを癒すには?とにかく美味しいものをたらふく食べるしかない!もう怒るのやめて、外に出てきてよ。ご馳走するから!」
高橋美咲は思わず笑ってしまった。
九条凛は根っからの食いしん坊で、美味しいものが大好き。そのセリフは彼女の決まり文句だった。
実際、高橋美咲よりも九条凛の方がよほど怒っているように思えた。裏切られた直後のショックや悲しみは、今ではもう落ち着いている。
特に九条悠真という人間をはっきり見てからは、未練も何も感じなくなっていた。
「うん、いいよ。どこで待ち合わせする?」と微笑んで返した。
高橋美咲がレストランに着くと、九条凛はすでに待っていた。
高橋美咲を見るなり、九条凛は全身をじろじろと観察するような目つきをしたので、「何見てるの?」と聞かずにはいられなかった。
九条凛は興味津々といった様子で、声をひそめて眉を上下に動かしながら、「美咲、もう一緒に住んで二日目でしょ。もしかして……その……」
高橋美咲はあまりにも突拍子もないことを言われて、思わず笑ってしまった。「ちょっと、想像力豊かすぎじゃない?そんな関係じゃないよ。」
「えっ?」九条凛は心底驚いた。
普通、未婚の男女が同じ屋根の下にいれば、何も起きない方が不自然だ。兄は少し堅物だけど、まさか不能ってことはないよね?
「本当に何もなかったの?」と九条凛はストレートに聞いた。
「うん。」
九条凛は口元を引きつらせ、歯ぎしりしながら「マジかよ!本当に男じゃない!」と毒づいた。
こんな美人を前にして、よくもまあ聖人みたいに振る舞えるものだ。
時々高橋美咲を見ていると、自分ですら抱きつきたくなるのに、男ならなおさらだろう。
だから兄は本当に男じゃないんだ!
急に九条凛は罪悪感に襲われ、親友を不幸にしてしまった気分になった。高橋美咲の手を握りしめ、「美咲、ごめん。本当に兄が不能だなんて知らなかった。未亡人にしちゃって……」と申し訳なさそうに言った。
高橋美咲は驚いた。九条凛は最初から九条蓮が……と知っていたのか。
でも自分と九条蓮はもともと期間限定の結婚だし、特に気にすることでもない。むしろその方が気楽でいいくらいだ。
「大丈夫、気にしないで」と高橋美咲は慰めた。
すると九条凛は何かを思い出したように、急に元気を取り戻した。
いや、もうこうなったら兄と美咲をくっつけた責任として、最後まで「夜の生活」も面倒を見なきゃ!
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