Chapter 283
離婚届を取りに行こう(続き)
九条蓮の元を離れると、高橋美咲の張り詰めていた体がようやく緩んだ。最後にもう一度だけ振り返り、もう二度と振り返らずにエレベーターへと入った。
さようなら、九条蓮。
下では、相沢翔が車にもたれて煙草を吸っていた。高橋美咲の姿を見つけると、すぐにトランクを開けて荷物を積み込んでくれた。
突然、相沢翔が目を細めた。
彼は高橋美咲の首元をじっと見つめ、まるで骨の匂いを嗅ぎつけた犬のように、興味津々でいやらしい口調で言った。「今、こっそり抜け出してイチャついてきたのか?九条蓮が上にいるんだろ?二人で寝たのか?」
そう言いながら、相沢翔は腕時計を見て舌打ちし、「たった10分?それはさすがに早すぎだろ」とからかった。
高橋美咲「……」
さっきうっかり首に残った痕を見られたのだろう。まさか相沢翔に気づかれるとは思わなかった。親戚とはいえ、こういうのはやっぱり気まずい。
高橋美咲は慌てて襟を引き上げ、「違うってば。変な想像しないで。上には誰もいないし、さっき荷造りしてたら蚊に刺されただけ。くだらないこと言ってないで、早く行こう!」と怒ったように言った。
そう言って、助手席のドアを開けて乗り込んだ。
相沢翔は「俺がバカに見えるか?そのでかいキスマークで、まだしらばっくれるのかよ。蚊にしてはずいぶん口がでかいな」とぼやいた。
もし本当に九条蓮だったら……
この離婚、もしかしたら成立しないんじゃないか、そんな気がしてきた。
……
高橋美咲は相沢翔の一戸建てに引っ越した。
相沢翔は商談に失敗し、大阪に早々に戻ってお仕置きを受けるしかなかった。
出発前、彼は高橋美咲に家の鍵を渡し、「しばらく家を頼む」と言った。実際は、彼女にもう少し長くここにいてほしいという下心があったのだ。
その家は小さな4階建ての一戸建てで、代官山パークレジデンスよりもずっと広かったが、高橋美咲は九条蓮と一緒にそこへ引っ越すことに、少しも胸が高鳴ることはなかった。むしろ、その場所は空虚に感じられた。
また九条蓮のことを考えていた自分に気づき、高橋美咲は小さくため息をついた。
「前の恋を忘れる一番の方法は、新しい恋を始めることだ」と誰かが言っていた。九条悠真のことをあっさり忘れられたのは、完全に九条蓮のおかげだった。
では今度は、何を使って九条蓮を忘れればいいのだろう。
不安でいっぱいのまま、高橋美咲はベッドに横になり、何度も寝返りを打った末、ようやく眠りについた。
翌日、高橋美咲は九条インターナショナルに出勤した。
デスクに座ったばかりのところで、周囲の人たちが何かを興奮気味に話しているのが耳に入った。
「ねえねえ、知ってる? 何年も姿を消してたQueenが戻ってきたんだって!」
「私も見たよ。登場した瞬間に、作品が五百万円で売れたんだって。信じられない。私がその金額稼ぐのに何年かかるんだろう。羨ましいよね。」
「Queenが出品したペアリングも見た? あれ、めちゃくちゃ綺麗だった。」
高橋美咲は、Queenの影響力がここまで大きいとは思っていなかった。業界内のネットで少し有名なくらいだと思っていたのだ。
それなのに、メゾン・ヴェルヌの社員たちまで夢中になっているのを見て、しばらく何も言えず、ただ黙って聞いているしかなかった。
その時、誰かが高橋美咲に気づいて声をかけた。「高橋取締役もQueenのこと知ってますよね?」
高橋美咲は気まずそうに微笑み、無理に答えた。「ええ、知ってます。」
「Queenが現れたときは衝撃だったもんね。この業界なら誰でも知ってるでしょ、そんなの聞くまでもないよ…」
「ははは、確かに。」
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