Chapter 282
離婚届を取りに行こう
高橋美咲はすでに布団の中で服を着終えていた。暗い瞳で九条蓮を見つめ、「理由なんてないわ」と言った。
じゃあ、抵抗しなかったことも間違いだったのか。
九条蓮はしばらく沈黙し、何も言わなかった。
高橋美咲は毛布を払いのけて立ち上がり、銀行のカードを取り出して九条蓮に差し出した。「これは契約違反の違約金よ。カードには五百万円入ってる。約束を破ったお詫びとして、あなたに渡すわ」
九条蓮の視線は彼女の手元に落ちた。黙ってカードを見つめたが、受け取ろうとはしなかった。
なぜか、理由もなく怒りがこみ上げてきた。
結局、高橋美咲は相沢翔から五百万円を借りたのだ。本当にそこまでして自分の元を離れ、きっぱり縁を切りたかったのか。
当時、彼女との契約に違約金を盛り込んだのは、高橋美咲のことをよく知らず、縛るための保険だった。
あの程度の金額など、最初から気にもしていなかった。
九条蓮が受け取らないのを見て、高橋美咲はカードを近くのテーブルに置いた。「離婚を言い出したのは私だから、違約金を払うのは当然よ。このお金で何か小さな商売でも始めたら?そうすれば、これからの生活も少しは楽になると思うわ」
九条蓮は心の中で冷たく笑った。小さな商売を勧めるなんて、要するに九条インターナショナルから自分を追い出して、二度と顔を合わせず、完全に縁を切りたいということだ。
高橋美咲は言い終えると、黙り込んだ。
急に、何を話せばいいのかわからなくなり、気まずい空気が流れた。
少し考えてから、ようやく「離婚届はいつ出しに行く?」と尋ねた。
九条蓮の目がふいに暗くなった。「いつがいい?」
高橋美咲は少し考え、「明日はメゾン・ヴェルヌで大事な仕事があるから無理なの。明後日でどう?」と答えた。
「ああ」九条蓮はうなずいた。
彼は高橋美咲がスーツケースを持つ手を見つめた。もう夜だ。今すぐ荷物をまとめて出ていくつもりなのか。
九条蓮は「どこに行くんだ?送るよ」と言った。
「いいわ。翔が下で待ってるから」
高橋美咲はそう口にした瞬間、自分の舌を噛み切りたくなった。
ああ……今、何も考えずに口走ってしまった。もし九条蓮に送ってもらっていたら、もう少し一緒にいられたのに。
でも、もう言ってしまった言葉は取り消せない。
九条蓮の少し冷たい視線を前に、高橋美咲は気まずそうに笑うしかなかった。
九条蓮はさらに「どこに泊まるんだ?」と尋ねた。
「翔の家が空いてるから、そこに住めって……」高橋美咲は九条蓮に嘘をつきたくなくて、無理やり口にした。
予想外にも、その言葉を聞いた途端、九条蓮の雰囲気はさらに冷たくなった。晩秋から冬にかけての冷気のように、骨の髄まで凍りつくほどだった。
九条蓮が何を考えているのか、本当にわからなかった。
あまりにも気まずい空気に、高橋美咲は何か話題を探して場を和ませようとした。「九条蓮、今まで本当にありがとう。お互いきれいに別れて、それぞれの道を歩きましょう。あなたの未来が輝かしく、平穏で幸せでありますように」
その言葉を口にした瞬間、本当に別れを告げているような気がした。
胸の奥に苦しさがこみ上げ、表情が曇った。
最後に「じゃ、じゃあ、先に行くね……」と慌てて言った。
そう言って、高橋美咲はスーツケースのハンドルを引き上げ、部屋を出ていった。
高橋美咲が彼のそばを通り過ぎるとき、九条蓮は手を伸ばせば彼女を引き止められたはずなのに、何もできなかった。ただ、彼女が目の前から消えていくのを、なすすべもなく見送るしかなかった。
ドアが閉まり、周囲が静まり返って初めて、高橋美咲が本当に去ったことを実感した。
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